①経済的余裕

ママが働くことの利点は、まず経済的に余裕が出るのは当然である。
では、富裕層である・親の財産がある・夫がエリートサラリーマンである、経済的にすでに余裕があるから、働く必要はない、は正解だろうか。

各家庭に事情がある。
妻は家でゆっくりしていればいい・オレと子供の面倒だけ見てればいい、とママの仕事を完全否定する夫も存在する。
仕事をすることで、家事がおろそかになる・キレイな妻だから他の男性に目をつけられるかもしれない・オレが経済を一手に担っていると威張れない、ということを心配したり。あるいは、セレブ家庭なのにママが仕事してるとは、世間体が悪い、と思っているかもしれない。
この場合は、無理することなくまずはボランティアやNPOのお手伝いでもいい。好きな趣味を師範まで高める、展示会発表会を開催する、そして自分だけでなくお弟子さんに教授したり小学校に教えに行こう。ブランドもいいが簡単に手に入るものではなく、自分で努力して手に入れるものは、家族に尊敬される。ここにお金を使おう、そしてユニセフに募金しよう。

少しでも社会とかかわると見えてくるものがある。

またママにとっても、ママ友とランチが楽しい、家でのんびりしたいのに今さら仕事なんてイヤだわ。
そんなママが仕事に抵抗を感じるのは「お金のために働くこと」
では「お金のため」以外にメリットはあるのだろうか。

 

②子供への教育指針を考えることが出来る

教育ママにとって、子育て本・ママとのおしゃべり・実家の方針など、わかったつもりでいる子供への教育方法。
それが正しいこともあるが、時代の流れが早い現代では、ママが若いころの常識は今は通じないこともある。

「学問なき経験は、経験なき学問に勝る」イギリスのことわざ

「経験こそ立派な先生だ。」「苦労せざるものは幸運に値せず。」 レオナルド・ダ・ヴィンチの名言

これから独り立ちして現代を歩んでいく子供たち。
子供は、反抗期には親の言葉も聞かないが、落ち着くと親からのアドバイスを待っている時もある。その時、役立つアドバイスを出来るだろうか。
ヘタに世の中を知ったかぶりの話を延々としたあとは、彼らは二度とアドバイスを求めない。
彼らが聞きたいのは、端的に、自分が楽しくて損しない生き方。
それは年齢によってちがう。友達とのかかわり・クラブのこと・勉強のこと、あるいは将来について。
回りくどい話は、いらない。ベストは何か、を提示して、それに向けての方法をいくつか教示する。子供に考えさせてもいい。
この作業は仕事と同じ。大事な会議の場合、ああでもない・こうでもないと話していると「仕事が出来ないヒト」と烙印を押される。二度とチャンスはない。
普段どうでもいいことはダラダラ話してもいい。アイドルや流行りのドラマでも。これは仕事でいうと「休憩時間」だから。
しかし子供から大事な質問・SOSを受けた時は「仕事」モードになろう。

こういうメリハリは、仕事という「経験」をして初めて気づくかもしれない。

また、子供への将来就いてほしい職業への希望がある時、現代においてのメリット・デメリットを提示できるようにしたい。
全く希望がなく子供の好きな道が幸せだろうと思っていても、職業別のメリット・デメリットはもちろん、子供の性格に合っているかどうかのアドバイスはできるようにしたい。
自分の子供・ある程度似ている部分もあるかもしれないので、子供の将来の職業に近いパート仕事をやってみてもよい。そこから具体的アドバイスが出来るようになる。

 

家族からの尊敬を受ける

子供はよく親を見ている。
学校で「良い先生」の話は、不良少年でも聞くことがある。
尊敬・共鳴する何かがある時、ひとの「心を打つ」事が出来る。
その何かがない時は、「心を打つ」事ができない。
あるいは、太陽と風のお話ではないが、あったかい何かがあれば、心の服を脱ぐことができる。
子供に怒り・手を出し・厳しくして、果たして言うことを聞くだろうか。表面上は言うなりになっていたとしても、心は従っていないかもしれない。
強い運動競技の高校での体罰が問題化したのは記憶に新しい。
体罰コーチを擁護する教え子もいるのは不思議だが、「尊敬するコーチ」だから体罰も甘んじるのことはマスコミは許さない。

太陽の「あったかい何か」は家庭では「愛情」だろう。

そして尊敬される親でありたい。
そのためには自分磨きをしないと子供に置いていかれてしまう。
薄っぺらい「世間の知識」は、ネットに書いてあるので子供に見破られてしまう。
そうではなく、ママの経験による深い知識を端的に提示する方が、言葉としては染みていく。
美味しい食事に、仕事を頑張るママ。
いつもそんな完璧に出来ないので、努力するだけでいい。
その姿を、子供はしっかり見ている。

いやいや、夫は現役の社会人だからパパから話してもらえばいい。

家庭によって差はあるが、パパとママ、ママの方には本心を話せる子供が多い。パパは正論すぎて反論も出来ない。パパには永久に本心を話さない可能性もある。その点ママは反論出来る余地があるので本心聞ける可能性がある。全部パパ任せにするのは危険。こごぞという時までパパを温存して戦略を練る。

そして、子供は利口である。

親が一生懸命働いたお金で学力をつけさせてもらっている、と理解している。たとえ家では反抗してたり無口であっても。
その経済にママも一役になっていれば、ありがたさは増すのではないだろうか。

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子どもに「お手伝い」を促せれる

「お手伝い」とは子どもが自立するための仕事。
「ママは仕事もなく専業主婦だから、家事全てやるのはママの仕事。」と、現代の子どもは、ママは家事・ぼくたち子どもは勉強だけしていればよいと、仕事を分けてしまう。

「ママとパパはお仕事、子どもは学校、それぞれ忙しいけれどみんなで力を合わせて生活しよう。」と言うだけでいい。
強制、ではなくて年齢にあわせてできることを割り振っていく。
そして家族の役に立っていることを「ありがとう、○○ちゃんのおかげで助かっているわ。」と必ずほめる。
家族の誰かが喜んでくれる、自分はなくてはならない存在ということを確信すると、「早くゲームで遊びたいな」という気持ちに勝つことができる。

子どものときに教えたお手伝いは、大きくなっても覚えている。大学生になって「お母さん、教えて~」とは言いにくいが、なんとなく手が覚えている洗濯の干し方、たたみ方は、友達にも誇れるもの。
また、卵焼きが作れるようになると、テストで満点を取ったときと同じくらい高揚するものである。ママしかできないと信じていた卵焼き、自分ができることで自信がつきちょっと大人になったような気分になる。
こういう成功体験は、友達との遊びとは違う楽しさがある。

いやいや、大学生になって一人暮らしするようになれば自然に何でもできるようになる、も正解だが、小さい時にしか味わえない感覚がある。

子どもに「お手伝い」を強要できるのは、子どもの教育の最大のメリットかもしれない。
 

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