「帝王学」とは、王族・特別な地位の跡継ぎに対する、幼少時から家督を継承するまでの特別教育を指す。(Wikipedia)
しかし、一般庶民でも、「帝王学」をチラッと意識して子育てしてもよいのではないだろうか。

筆者の子供2人には、中学三年生の時に将来の仕事を決めてもらった。
それに向かうために、大学の学部・大学名を決めさせた記憶がある。
そんな教育方針は、別に隠す必要はない。堂々としておればよい。
ただ、親戚から筆者のことを「新興宗教の教祖のようだ」と言われたことがある。

それは、親戚の集まりの時に筆者の子供たちが「将来、〇〇になるために勉強している」と明確に専門職名を述べていたからだけではない。
親戚たちが突っ込んで聞いてくると、子供たちは
・具体的にその勉強法や現在していることを堂々と羅列したり。
・そして、なぜこの専門職が自分に合っているかをとうとうと語ったり。
・これからの時代に、この専門職で自分は仕事する、と仕事をしているイメージを話したり。
・この専門職を武器に、結婚後はこうしたいと、夢を描いていること。
「将来設計」を明確で「子供が知らない社会の現状」を話すものだから、「親の刷り込みだ」と思われたのかもしれない。

ふと思い出して、大学生の子供に「お母さんは新興宗教の教祖かなぁ」聞いてみたら、面白い答えが返ってきた。

「いや、帝王学じゃないの?」

「だって、2人とも成功しているし」
「成功したのは、その道のために早くから準備していたからでしょ」
「早く教えてくれなかったら、今の自分たちはムリだった」
「すごく感謝している!」

いきなり「帝王学」とか、面白い!
そうか、感謝してくれているのか・・・良かった(涙)

ただ「成功」は語弊がある。
現在のところ、専門職の入り口に立っただけである。「成功」ではない。
「成功」ではなく「スタートライン」に立てた、ということである。

しかし自分の理想の「スタートライン」に立てることだけでも、この時代は難しいのだ。
みんなと同じように「おててつないでチーパッパ」と、並列で何も考えていないのが子供たちだ。
安心している場合ではない。
自分の理想の「スタートライン」に立つためには、それなりの力・武器を持つことが必要ではないだろうか。
息子、娘、共に力・武器を持たせるべきである。

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「スタートライン」に立ち、戦いの舞台が上がる。
「戦い」は誰かと戦争するのではなく、自分との戦いである。
専門を極め、より高く、より社会に還元できるように。
高めていくと、並行して収入も上がる。
彼らの家族が幸せになれるようには、収入は重要な部分なのだ。
伴侶と一緒に仲良く「家族」という土地を耕し(=共働き)、経済的にも豊かになって、幸せになってほしい。
お金があるだけで幸せとは言えないという反論もあるが、お金がないと不幸になる可能性が高くなる。
これからの時代は、「共働き」という観念がないと、経済的下級階層へと道が続くかもしれない。。。

一般的には、親が子供より早くあの世に行く。
あとは結婚してそれぞれの家族を大切にしてもらいたい。
子供らの家族 > 親 も教えておくのだ。私たち親も子離れしよう。

話は戻るが。
しかし自分が決めた専門職も「絶対」ではない。
数年後に「やっぱりやーめた」でもいいのだ。
やりたかったけど、そうじゃなかった、と方向転換してもいい。
強いては、いけない。もう子供ではないのだ。
将来は彼らに任せるとして、親としては「スタートライン」まで支えてあげよう。

そのためには、言い過ぎ感もあるが「帝王学」を意識して子育てをしてもよいだろう。